死ぬまでに聴きたいエルヴィス・プレスリー

特選ソングス

テディ・ベア / (Let Me Be Your)Teddy Bear:1957

夏の暑い日に、自衛隊の食堂で食事していたら、ラジオからエルヴィス・プレスリー ゴールドレコード第一集が聴こえてきました。ラジオだったか別の装置だったのか、判明しませんが、アルバムの順番に曲が聴こえてきたので、ラジオでなかったのか知れません。...
特選ソングス

エルヴィス・プレスリーとは何者だったのか|誰もひとりでは立てない所

蝉は夏の短い間だけ、泣きまくって死んでいきます。あとのことなんか考えず、一生懸命泣いて泣いて死んでいきます。エルヴィス・プレスリーも歌いまくって歌うのに疲れて、去って行きました。蝉と同じように季節外れに蝉を懐かしむヒトがいるように、未だにエルヴィスを懐かしむヒトがたくさんいます。
特選ソングス

スイート ・キャロライン/Sweet Caroline

ニール・ダイヤモンドの楽曲<スイート・キャロライン /Sweet Caroline>を臆面もなく、まるで自分の曲のように自然体で歌っている、<Sweet Caroline >は70年2月15日~20日の間にラスベガスのライブから収録されたも...
特選ソングス

谷間の静けさ / (There’ll Be) Peace In the Valley (For Me):1957

<谷間の静けさ>は、エルヴィス・プレスリーの人生を決定づけた楽曲だ。 1957年トム・パーカー大佐は人気の高いTV番組『エド・サリバン・ショー』でゴスペルを歌わせることで、批判的な世論が多い、過激なロックローラー、エルヴィスのイメージアップ...
エルヴィスがいた。

【SUN】忘れじの人/I Forgot to Remember to Forget:1955

エルヴィスは<忘れじの人>がカントリーすぎるということと、ワルツ調でスローすぎるということで、最初は乗り気ではなかったようだ。そこで一石を投じたサンレコードのサム・フィリプスの戦略にハマって、本当に好きな曲になったようだ。結果的に初の全米ナンバーワンになり、笑顔がこぼれるエルヴィス自慢の一曲になったようだ。
エルヴィスがいた。

ロカ・フラ・ベイビー/Rock-a-hula Baby:1961

エルヴィスの<ロカ・フラ・ベイビー(61年)>は、美空ひばりの<ロカビリー剣法(58年)>に匹敵する。おおらかな時代だった。歴史は正直だ。日本だけがA面にしたけど、アメリカもイギリスも<好きにならずにいられない>をA面にして、<ロカ・フラ・ベイビー>はB面でしたが、ナンバーワン・ヒットを記録しています。
エルヴィスがいた。

レット・ミー・ビー・ゼア/Let Me Be There:1974

<レット・ミー・ビー・ゼア/Let Me Be There>は、オリビア・ニュートン・ジョンが1973年に初のHOT100で全米6位にランキング、ミリオンセラーを記録したスウィートでポップなカントリーソング。エルヴィスがカヴァーした1974年3月20日テネシー州メンフィスでのライブ録音は、1974年7月7日に『ライヴ・イン・メンフィスとしてリリースされた。
エルヴィスがいた。

マリーは恋人/ (Marie’s The Name) His Latest Flam:1961

<マリーは恋人/ (Marie's The Name) His Latest Flam>は、<メス・オブ・ブルース><サレンダー><ラスベガス万才><リトル・シスター><サスピション><キス・ミー・クイック>などのドグ・ポーマス(Doc Pomus)&モート・シューマン(Mort Shuman)がエルヴィスのために書き下ろした印象的なナンバー。
エルヴィスがいた。

ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands:1966

<ハワイアンドラム・ソング/Drums Of The Islands>はエルヴィス・プレスリー主演映画21作目の映画『ハワイアンパラダイス』の挿入曲、映画のクライマックスを雄大に締めくくります。シド・テッパー。ロイ・C・ベネットがトンガの曲をベースに映画のために書き下ろした。
エルヴィスがいた。

メス・オブ・ブルース/A Mess Of Blues:1960

<メス・オブ・ブルース>は、<ラスベガス万才><ひとりぼっちのバラード><リトル・シスター><マリーは恋人><サスピション><キス・ミー・クイック>などの快作のコンビ、ドグ・ポーマス&モート・シューマンがエルヴィスのために書き下ろしたエルヴィス好みのブルージーなロックンロール。
エルヴィスがいた。

その気でいこう/Let Your Self Go:1968

<その気でいこう>は、<アメリカ魂><ステイ・アウェイ>、<ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン>の後を承けて<おしゃべりはやめて>、<明日への願い>と繋がる『TVスペシャル』直前のサントラだ。自分を出せばいいだけさ(自分を出して)は自身への、そしてすべての若者への呼びかけのようだ。エルヴィスが来た!
エルヴィスがいた。

青春カーニバル/Roustabout :1964

エルヴィスからやり直そう、自分のやりたいを自分の最高で!サーカスのように若い、ピンク・レモネードのように美しいすてきな世界.。人生はカーニバル、そのつもりで生きよう。君はこの最大のショーの立役者.この世は赤鼻の道化師、虹色の風船、皆の真珠貝。さあ君の真珠をとればいい。すてきなこの世界はエンドレスにワンダフル!
エルヴィスがいた。

あなたを離さない/ I’ll Never Let You Go (Little Darlin’):1954

<あなたを離さない/I'll Never Let You Go (Little Darlin')>は、サンレコードで録音していますが、未発表のまま、 RCAに転籍したので、RCAから『エルヴィス・プレスリー登場』としてリリース。当時アルバムを買えないティーンエージャーのために全曲シングルカットされました。
エルヴィスがいた。

ホーム・タウンのストレンジャー/Stranger In My Own Home Town:1969

1969年、ふたたび黄金時代を迎えようとするエルヴィスを迎えるにあたって、名匠チップス・モーマンが率いるアメリカン・サウンド・スタジオは緊張していた。エルヴィスは自然体で70年代の代表曲となる32曲を録音した。それらは主に2枚のオリジナル・アルバムに振り分けてリリースされ男性ファンの心を鷲掴みした。
エルヴィスがいた。

トウッティ・フルッティ/Tutti Frutti:1956

エルヴィスがアメリカから奪い取った『無邪気で自由でワクワクするティーンエージャーの国』が、ベトナムの戦火に捧げられても、人々は永遠に忘れない。ロックンロールは食後にちょっと聴くような音楽ではないとドイツに送られる前にエルヴィスは呪文のように言い残していった。Wo p-bo p-a-Ioom-bo p-a-lo p-bam-boom
エルヴィスがいた。

クライング・イン・ザ・チャペル/Crying in the Chapel:1960

エルヴィス得意のイントロなしのスタート、ピアノとコーラスが追いかける。エルヴィスならではの音楽への心意気が伺える。エルヴィス屈指のバラードだと思うが、しかしエルヴィスも、身体の一部のようなジョーダネアーズももっと深遠なものを求めていた。リリースは棚上げにされた、
エルヴィスがいた。

わが愛のちから/Power of My Love:1969

映画『ELVIS/エルヴィス』は古くて新しい未解決のテーマを私たちに突きつけて、あとは自分で始末しろと迫ります。非言語コミュニケーションにコミュニケーションの真実があることを体感で知っているエルヴィス。生きる糧である音楽を体感するエルヴィス。本当の自分を体感したくて、解放を求める平均的な女の子の欲望。
エルヴィスがいた。

スイムで行こう/Do The Clam:1965

『フロリダ万才』は、1965年に公開されたM-G-M映画。大ヒットした『ラスベガス万才』の後を受けてボリス・セイガル監督、エルヴィス・プレスリー主演、シェリー・フエブレーが共演した当時流行していたビーチ映画の一種。ベトナム戦争が激しさを増す前夜の快のサウンドトラックからシングルカットされたヒット曲、
エルヴィスがいた。

バーニング・ラブ/Burning Love:1972

真っ赤に燃えてるロックンロールを一個どうぞ。骨までしっかり焼きつくしてくれそうにアツアツです。この時期、地味めのシングル・カット曲が続いていたエルヴィス・プレスリー。1972年ハリウッドRCAスタジオで録音した、熱情のミリオンセラー。。ドラゴンは火の玉のような閃光で輝きながらチャートを駆け昇る。
エルヴィスがいた。

恋はいばらの道を/True Love Travels on a Gravel Road:1969

タランティーノの出世作である映画『トゥルー・ロマンス』のアラバマとクラレンスが身につけていた馬蹄形のロカビリーな結婚指輪はエルヴィス・プレスリーが1956年<ハウンド・ドッグ>録音時にしていた指輪。劇中のエルヴィスはアラバマを守って逃避行を続けるクラレンスに言う「おまえには負けたぜ,クラレンス。これからもずっと好きだ。」